第27号 2004年 晩秋


表紙の言葉

「アカダイダイキイロミドリィ」

ひみつの言葉を唱えたら

木々の葉っぱが衣替え

小さな声で唱えたら

木の実もこっそり衣替え

夕日のベールを身にまとい

さわわさわわ秋風ワルツ

今夜は『森の舞踏会』

松ぼっくりで遊ぶ
  奥会津つれづれ  

 大学の同級生に会う機会があった。なかなか友達とも会えないけれど、会って間もなくみんなに驚かれたことがある。
 ずっと田舎には帰りたくないと言っていた私が、「ブナ林に入ると気持ちいい。」とか「日本であまり見つかっていないコウモリがいる。」と言うので、「人は一年でこんなに変わるもんなんやね。」とみんなビックリしていた。私が突然自然愛好家になった、そんな風に見えたらしい。
 仕事をはじめてから、自分の住む土地についてどれだけ無知か、ということが分かった。まだまだ知らないことが多いし、聞かれて応えられないこともたくさんある。だけど、今まで知らなかったこと、すごいと思ったことは、すごくない?と共有するためについ言いたくなってしまうのだ。
 住むところが違えば発見するものが少し違うというだけで、驚いたり、ショックを受けたりして、新鮮な感情が生まれるのは同じだ。
 以前新聞でわかぎゑふさんが書いた『慣れ嫌いのススメ』を読んだ。最初に体験したときは喜んだりしても、何度も経験すると慣れて感情がなくなってしまうことが多い。だから、演劇で演じる時も毎日の生活も、所作は慣れて上手くなっていいけれど、気持ちは新鮮なままでいることが本当に難しいのだと。
 ずっとふるさとに住んでいると、そこにあるものの本当の価値や大切さが分からなくなることがある。だからこそ小さな発見や驚きを忘れずに、新鮮な気持ちで暮らしていきたい。 (治)

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道・探訪
 
只見町 〜ただみまち〜 
 
 只見町は晩秋に入り、ブナ、ナラ、カエデなど様々な落葉樹が一斉に紅葉の時期を迎えた。田子倉湖には遊覧船が浮かび、秋空を映したブルーの湖面と、山々の紅葉が鮮やかなコントラストをつくり出している。
 只見町は自然美にあふれる奥まった山国だが、この地の歴史は古く、縄文時代から現代まで様々な人、物、文化が往来し、独自の文化風土を育んだ。
 
只見川
マップ
 
 大倉地区にある会津只見考古館には縄文・弥生時代の営みを今に伝える貴重な資料が集められ、土器、土偶、石器などの出土品のほか、竪穴式住居も復元・展示されている。
 只見駅から歩いて十分ほどの山腹にある三石神社は、ご神体が小さな家ほどもある巨石で、古代信仰の面影を今なお残している。幾本もの杉の巨木を縫うように登る参道の途中には透明な清水が湧き出し、ほの暗い杉木立を透かして秋晴れに輝く山々の紅葉が間近に見える。ご神体の巨石は所々に細かな穴があり、ここに紐を結ぶと良縁が得られるという。
会津只見考古館に復元された竪穴式住居
三石神社
 さらに江戸時代になると只見は、会津と新潟を結ぶ「北越街道」の要所として栄えた。新潟へ向かう峠「八十里越」の入り口に当たる叶津地区には「八十里越叶津口番所」が設けられ、この地が平和な交易の場だっただけでなく、軍事・警察拠点だった一面を伝えている。当時のまま保存されている番所は、農家風の曲がり屋と武家屋敷を折衷した独特の造りで、30センチ超の柱や梁が、カヤぶき屋根をがっちりと支えている。
 軍事拠点としての性格が際立ったのは戊辰戦争で、農民らも農兵として動員された。若松城が開城した慶応4年(1868年)9月22日以後も、只見をはじめ奥会津各地で戦争が続き、叶津地区では9月25日になっても戦闘が行なわれたという。
 会津の友軍だった長岡藩の家老・河井継之助も長岡城落城後の同年八月、藩士・避難民らとともにこの地に退却した。継之助は到着後ほどなく没し、遺骨の一部が塩沢地区の医王寺に葬られた。現在は寺の傍らに「河井継之助記念館」が建てられ、その華やかな活躍ぶりを伝えている。一方、寺の裏手にある墓所は森閑と静まりかえり、戦禍に倒れた無数の人々が今なおつぶやいているかのように、沢の水音だけが響いている。
350年前のたたずまいを今に残す叶津番所跡
河井継之助の墓所
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奥会津の歳時記 10
 
豆ブチ(豆打ち) (柳津町)
 
 うるうの年の天候は不順だといわれていたが、今年はとりわけ様々な天災に苦しめられた。奥会津では多くが自給自足の小規模な農家だが、田畑の作物のでき不出来は一年の暮らしに関わってくる。稲、ソバ、豆などの大事な刈り入れ時は、晴天の日が何よりもありがたい。秋晴れの下、家々ではソバブチ(ソバの実を叩いて落す作業)や豆ブチに余念がない。こうした収穫作業が終わると、恵みへの感謝と農仕舞いの祝いの刈り上げ祭りが行われる。
 
豆ブチ


■ 写真・文:竹島 善一 ■
 
 
     
▲広い水田の中に立つサデ棒が目につく。
穂をつけた稲は間もなく稲架に組まれたこの丸太に干されて、ちがう風景を作り出す。
(昭和村大芦・昭和52年8月)
 

▲昭和村へ入ると最初の集落が松山である。山裾に散在する家々を連ぐ道も、ここ迄の国道も砂利道が多かった。歩く人の足にはこの方が心地よい。 人の身体の速さで時と生活が動いている。
(昭和村松山・昭和51年10月)

 
 
クロホオヒゲコウモリ 
   只見町黒谷川沿いのブナ林に、環境省レッドデータブックで「絶滅危惧IB類」に指定されているクロホオヒゲコウモリが生息していることが分かった。只見町が調査しているブナ林総合学術調査の1つとしてコウモリ調査が行われ、今回の調査では24匹を捕獲して標識をつけて放したという。
 クロホオヒゲコウモリは1969年岩手県夏油温泉で発見されてから、これまで10数個体しか発見されていないということで今回の大量捕獲により生態の解明にもつながる。調査にあたった専門家は「このコウモリが生息しているということは、ブナ林が原生的で広大な証拠である。クロホオヒゲコウモリ以外の未確認の生物が生息している可能性もある。」と話している。
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「今年は山が休んでしまった」
きのこ採りを秋の楽しみにしている人はそう言って、通いなれた山を見上げた。マツタケやシメジは奥会津でも貴重品だが、クリモタシやアカドリモタシ、ホウキダケ、クリタケ、サクラシメジ、ムキタケなどの雑キノコといわれるキノコが、実は、食するには絶品で、このキノコたちも今年はあまり姿を見せないという。
 これらのキノコを一緒に醤油で煮たものは、それぞれの歯ごたえと味が渾然一体となって、晩酌には欠かせない一品となる。日保ちもするので、吸い物にしたり、大根おろしであえたりと、食卓に登場する際のバリエーションも豊かだ。
4・雑キノコの醤油煮
 


  親父はキノコ採りの名人だった。
 シメジなんか竹串に刺してユルイ(囲炉裏)の火でぐるっと焼いて、細かく編んだマタタビのハケゴさ入れて吊しとく。正月にそれを水で戻して餅やそばのつゆにしたんだ。
 最高にうんまかった。

二瓶 一義さん(三島町)

   
◆作り方◆
   それぞれのキノコの根元を切り、ぬるま湯でていねいにゴミをおとしておく。
 ナベにキノコを入れて、醤油を好みで加え、中火で30分ほど煮る。キノコの水 分が上がってくるので、好みで酒少々を入れる場合もあるが、水は一切加えない。
 常温まで冷ましたら、器に入れて冷蔵庫で保存する。
 
 
栗の木筋目椀(舘岩村)
   
 

 身近な樹木として親しみのある栗。水に強く、硬いのが特徴だ。
これまで、ゆがみが出やすいという理由から漆器の素材としてあまり用いられてこなかったようだが、手に取った時の木肌の触感や手のひらに収まる感じはとても心地がいい。薄く引かれた漆で木目がいっそう美しく引き立つ。唇にぴったりフィットする吸い口の返りなど、すべてが違和感なくそこにある。内側に残した美しい筋目も作り手の細やかなこだわりとして伝わってくる。
 丁寧に作ったアツアツの味噌汁を盛りたい。

(きこりの店)

   
  聞 き 耳 袋
  今、足腰丈夫でめったに風邪なんどひかねぇのは、屋根葺きの仕事やったおかげだと思う。この仕事はまず立ちっぱなし、着てるもんは汗だらけ。寒い日の朝なんど、裸んとこに冷たくなった服着るとヒヤッとするわな。今の子たちが炬燵(こたつ)であっためた服着たりするが、あれではダメだ!自分の身体は自分であっためることできねぇとな。鍛えた体は違うもんだぞ。(伊南村 平野久雄さん)